河村たかし名古屋市長と北見昌朗が対談しました。
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 平成23年11月22日13時45分から14時15分まで、河村たかし名古屋市長と北見昌朗が対談。

 北見昌朗は「旧町名の復活運動を始めたい」と申し出た。それに対して河村市長は、
「大いに賛成だ。名古屋市長として旧町名の復活に向けて邁進したい。市民からの盛り上がりを期待したい」と前向きな回答。
 名古屋旧町名の復活を目指す有志の会を急遽立ち上げることになった。平成24年2月にも、その旗揚げ式を行う。
 写真は、市長室で。河村市長は市長室に北見昌朗の明治古地図「がんばれ名古屋商人」を飾っていて、毎日見て楽しんでいるという。
 北見昌朗は古地図の前で固い握手を交わした。
「復活旧町名! 復活名古屋の歴史! 復活名古屋!」





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 大失敗だった昭和41年の町名変更
 皆様、今日は。私は北見昌朗と申します。
 私は、ひとつの志を抱いています。それは、名古屋に昔あった旧町名を復活させることです。その一念で、このサイト
『名古屋の旧町名の復活を目指す有志の会』を立ち上げました。
 名古屋は、昔の町名を廃棄し、現在の町名になったのは昭和41年だと聞いています。中区の市街地には、例えば、茶屋町、京町、長者町、鉄砲町、八百屋町、関鍛冶町、蒲焼町など由緒正しき町名がありました。城下町らしい、情緒溢れる素晴らしいものばかりでした。
 しかし、それらは現在、錦とか栄とか丸の内等の町名になっています。例えば「錦1丁目1番地」という感じで、あたかも記号のような住所です。まったく味気ない地名です。だいたいおかしいのは「丸の内」という町名です。丸の内というからには本来ならお堀の中であるはずなのに、お堀の外になっているではないですか? この丸の内という町名は、いかにも東京風であり、東京コンプレックスだというほかありません。
 尾張名古屋は、御三家筆頭。尾張藩は、江戸の昔、独自の歴史や文化をはぐくんできました。幕府とも一線を画していましたので、独自性があったはずです。そのプライドを考えるのなら、丸の内はいただけないと思うのは、私だけでしょうか?

 「鷹匠町」と「城西町」 どっちが良い?
 ここで1つのクイズを出しましょう。

 クイズその① 「鷹匠町」は現在の何町か?

 「鷹匠町」といわれて、スグわかる人は少ないかもしれませんね。それはお城の西側で、キャッスルホテルのある場所です。その名でわかる通り、お殿様の鷹狩りをするお伴を務める鷹匠の住む町でした。この町名がいま何になっているのかと言いますと「城西町」です。城の西にあるから城西町というわけですが、ネーミングとして、あまりにも能が無さ過ぎると思いませんか? この城西町というは、市役所の役人が付けた名前だと思いますが、その感覚の次元に低さに、腹が立つのも通り過ぎ、呆れてしまいます。「鷹匠町」と「城西町」とを比べて、どちらが良いネーミングですか? 答えは言うまでもありませんね。
 
 町名を探ると偉人の歴史に辿り着く
 ここで1つのクイズを出しましょう。次の町名を聞いて、どこだかわかる人がいますか?
 
 クイズその②「錦3丁目6番地」はどこでしょうか?

 これだけ聞いて、アソコだとピンとくる人はあまりいないですよね? それは興和(株)のあるブロックです。大津通を挟んで西側は「錦3丁目7番地」という町名で、大日本インキのあるブロックになります。ところで、この錦3丁目の6番地および7番地は、昔の町名が「朝日町1丁目」周辺でした。さあ、そこで次の質問です。 

 クイズその③ この「朝日町1丁目」というのは、誰にゆかりのある場所でしょうか? 次の中からお選び下さい。
 A徳川宗春 B豊田佐吉 C成田きん蟹江ぎん D盛田昭夫

 正解は「B豊田佐吉」です。豊田佐吉翁は慶応3年生まれだから、明治の元号と同じ年齢になります。明治28年に名古屋に出てきて、「朝日町1丁目12」で糸繰返機の製造販売業を創業しました。その場所は錦3丁目6(興和本社)および7の近辺です。翌29年には「寶町3丁目66」に移転しましたが、その場所はテレビ゙塔のあるブロックの東南近辺です。明治30年に「武平町3丁目15」に移転して、動力織機の製造販売を始めました。その場所は東区泉1丁目のトヨタビルのブロックの近辺です。事業に成功した後に建てた家は白壁にあって、現在ダイキン工業になっている場所です。
 いかがですか? 「錦3丁目6番地」という町名を聞いても、単なる記号のような住所ですから、そこがどこなのかピンと浮かんできません。ところが「朝日町1丁目」と呼び変え、さらにそこが豊田佐吉翁の創業の地だと聞かされると、思わず『ヘエ』という言葉が出ませんか? 
 ちなみに、佐吉翁は湖西市の生まれですが、若い頃から名古屋に出ていますので、彼は生涯の大半を名古屋で過ごしています。特に蒲焼町(現在の錦3丁目)は、彼が飲んで回った地域です。佐吉翁は富澤町4丁目(旧東海銀行本店のブロックの東側)にあった料亭『花月』が好きで、煙草敷島をくゆらせながら、夜が明けるまで飲み明かすこともしばしばでした。だから佐吉翁は、現代風に表現すると、実は“錦3のオトコ”なのです。そのように表現されると、グッと身近に感じませんか? 
 このように町名の歴史を辿りますと、偉人に辿り着きます。「町名」にこだわって昔の文献を読んでいくと、へえ、こんな場所で、こんなことがあったのか? こんな人がいたのか? 等々と発見の連続になります。だから古地図は面白いのです。

 もっと地元の歴史を知ろう
 名古屋人は一般的に地元の歴史に疎いです。その理由は色々です。学校では地元史を教えてくれません。テレビで名古屋が舞台になるのは、例の三英傑の時代だけであり、それ以外はほとんど全国ネットの番組に登場しません。書店にいっても郷土史の本はあまり置いていません。だから地元の歴史を知るすべがないのです。

 由緒ある町名の抹殺が名古屋の歴史を
 名古屋人が郷土史に疎くなった決定的な理由は、町名変更だったのではないかと思います。由緒ある町名が消されてしまい、錦・丸の内・栄という記号のような町名に変えられてしまうと、昔のことを知るよしもなくなるからです。昔の町名を知っているのは、もう高齢世代であり、若い人はまったく知りません。
 
 名古屋の旧町名の復活を目指す有志の会発足
 昭和41年に行われた町名変更は、歴史の抹殺であり、破壊行為以外の何ものでもありません。旧町名を復活させることは、歴史を復活させることにつながります。名古屋人が郷土に誇りを取り戻すことができるのです。だから、町名復活は、名古屋の復活につながるのです。
『名古屋の旧町名の復活を目指す有志の会』は、現時点では会員は、たった1人、つまり北見昌朗だけです。でも、この呼びかけに呼応する方々が集まり、大きな運動に発展することを確信しております。
 皆様、ここで立ち上がりましょう。
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平成23年7月24日
北見昌朗 拝